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ぼくがセネガルから日本に来たわけ

2014年冬号 — vol.21
[2014年02月19日 発行]

シェイ・アハマッド・バンバ・ディウフ(国際学部1年)


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 こんにちは、バンバです。
 本名は「シェイ・アハマッド・バンバ・ディウフ」ですが、みんなから「バンバ」と呼ばれるので、ぼくも自己紹介のとき「バンバ」と名のっています。

 まず、ぼくの故郷と家族についてお話しします。ぼくは、1993年9月30日にセネガルの首都ダカールで生まれました。いま20歳です。
 セネガルは、アフリカの西の端にある国です。ダカールの名前は自動車の「ダカール・ラリー」でごぞんじの方も多いでしょう。
 「アフリカ」というと、日本のみなさんはライオンやゾウを連想されるようです。あるいは「貧困」とか「戦争」とか、あまりよいイメージがわかないみたいです。
 でも、セネガルは治安もよいし、人々はみんな親切です。夏はすごく暑いけれど、冬は20度くらいですごしやすく、海もきれいで、ゴレ島(かつての奴隷貿易の拠点)のような世界遺産もあります。ダカールは都会で、ライオンやゾウはいません。ぜひ一度あそびにきてください。とてもよいところです。

 私の父は、イブラヒム・ディウフといい、警察官をしています。母のビントゥは主婦です。敬虔なイスラム教徒の家で、ぼくは三人きょうだいの末っ子として生まれました。姉と兄がいます。うちには母方のいとこもいて、きょうだいのようにして一緒に育ちました。
 母はやさしかったけれど、父は厳格でした。しつけにきびしくて、「態度が悪い」「年上の人に礼儀正しく」「しっかり勉強しろ」とよく叱られました。教育熱心で、ぼくらきょうだいは3人とも私立の学校に通っていました。
 子どものころのぼくはヤンチャで、友だちとサッカーをしているときなど、しょっちゅうケンカをしていました。それを母に見つかり、よく家に連れ戻されたものです。4歳のとき、コーランを学ぶ学校に入り、イスラムについて勉強しました。コーランはアラビア文字で書かれているので、ぼくはいまでもアラビア文字が読めます。

 7歳で小学校に入学するとすぐ、バスケットボールを始めました。最初はあまりおもしろくなかったし、選手になる気もありませんでした。そのころは大きくなったらパイロットになりたいと思っていました。
 11歳で中学校に入ったときには、背がもう180センチありました。それからどんどん伸びて、15歳のときには190センチになりました。いまは2メートルあります。

 セネガルの中学校は4年制で、日本とは違っています。ぼくが通っていた中学は、バスケではセネガルNo.1で、ぼくもU15(15歳以下)のナショナルチームのメンバーに選ばれていました。そのころの夢は、アメリカの高校に進学することでした。
 ところが、ある日、バスケ部の監督に呼び出され、奨学金がもらえたので日本に行き、高校に通いながらバスケを続けるようにと言われました。
 正直、日本にはあまり興味がありませんでした。知っていることと言えば「ニンジャ」と「ヤクザ」くらい。でも、父は日本にとてもよい印象を持っていて、熱心に日本行きを勧めました。日本は安全だし、人もすばらしい。日本という新しい環境で、新しい言葉と文化を学んだほうが、ぼくのためになるというのです。それで何人かの友だちに日本に行くと言ったら、「日本人は全員カラテができるから、絶対にケンカしちゃダメだぞ」と注意されました。ジョークではなく、日本には本当にニンジャがいると思っているセネガル人は少なくありません。

 2010年4月1日、ぼくは宮崎県の延岡学園高校に入学しました。16歳のときです。
 延岡は、ぼくの故郷とは何から何までが違っていました。とくに印象的だったのは、美しい山の景色です。
 入学当初、ぼくは本当に緊張していましたが、先生方も生徒たちもみなさん大歓迎してくれました。ぼくはすぐチームにとけこみ、チームメートたちをカッコイイと思うようになりました。
 日本語ができるようになると、友だちも増え、日本が大好きになりました。日本食も大好きです。すぐに覚えた単語は「ウドン」「ヤキニク」、それに「オオモリライス」。日本のお米は本当においしくて、大好きです。

 延岡学園のバスケ部はものすごく強くて、インターハイ、国体、ウィンターカップの3大大会に優勝しました(新聞やテレビでは「延岡学園3冠達成の快挙」と大きく報じられた)。大学を選ぶさいには、勉強でもバスケでも一番の環境ということで拓大に決めました。
 高校の仲間との別れはつらくて、何度も泣きましたが、いまでは大学生活に慣れ、友だちもおおぜいいます。延岡学園から拓大に進学したチームメートも3人いるので、毎日、楽しくおしゃべりしています。

 さて、ぼくの毎日は、朝起きてシャワーを浴び、アラーへのお祈りから始まります。たいてい4時半まで授業があり、そのあとは猛練習が待っています。
 一番ほっとするのは、音楽を聴いているときです。好きな歌手はエイコン(アメリカで活躍するセネガル出身のスター)とユッスー・ンドゥール(セネガル出身の世界的な歌手)。日本の歌手では、ゆずとFUNKY MONKEY BABYSのファンです。ゲームも大好きで、NBA2K(NBA公認のバスケットボール・ゲーム)とサッカー・ゲームにハマっています。日本での生活をとても楽しんでいます。
 いまの目標は、何と言っても大学選手権で優秀すること。大学を卒業したら、アメリカに行ってNBAの選手になるか、日本リーグで活躍したいと思います。
 これからも応援よろしくお願いします。 

(原文は英語、翻訳およカッコ内は編集部)

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