特集1:冷静な“領土論” 

  ロシアはなぜ中韓に同調しなかったか
            名越 健郎(拓殖大学海外事情研究所 教授

 外交や安全保障では、敵対勢力を二カ所に抱える二正面作戦は避けるのが鉄則です。米国防総省も、湾岸と朝鮮半島の有事に同時対応するのは困難と結論付けました。まして、敵対勢力を同時に三カ所に抱える三正面作戦は悪夢にほかなりません。

 この夏、日本は中韓両国の激しい領土圧力に見舞われ、尖閣問題と竹島問題に同時に対応する二正面作戦を強いられました。これに、北方領土問題を抱えるロシアが中韓両国に追随し、悪乗りしていれば、危うく三正面作戦に直面するところでした。

 中国と韓国はそれぞれ、ロシアに対して、対日領土問題で共同歩調を取るよう暗に求めました。しかし、ロシアはこれには乗らず、尖閣、竹島では中立姿勢を保っています。9月にモスクワを訪れた際、ロシア外務省の高官と会いましたが、彼は、「ロシアは日中、日韓の領土問題でどちらの側にも汲みしない。当事国が対話で早急に問題を解決するよう望む」と言っていました。

 ロシアのメドベージェフ首相は7月3日に北方領土の国後島を再訪し、「(領土は)一片たりとも渡さない」などと強硬発言をしましたが、その後ロシアは日本を挑発するような動きを避けています。日露関係はその後好転し、ロシア要人の訪日が続いています。プーチン大統領はメドベージェフ首相を呼んで、「余計なことをするな」と叱ったという情報もあります。

 外交・安保が苦手の民主党政権は、ロシアの意外な対日融和姿勢で辛うじて三正面作戦を回避できました。

 2年前には、ロシアは中国と組んで対日領土攻勢に出ました。2010年9月、中国漁船が尖閣周辺で海上保安庁の巡視船に体当たりし、日中関係が険悪化した時、大統領だったメドベージェフ氏は訪中し、日本の歴史認識を非難する戦勝65周年の中露共同声明を出しました。この後、メドベージェフ大統領は国後島を訪れ、これに日本側が反発して、日露関係は冷戦後最悪といわれるほど冷え込みました。

 では、なぜ今回、ロシアは中韓の領土圧力に加担しなかったのでしょうか。

 まず第一に、ロシアにとって日本がエネルギーの有力な輸出先になったことがあります。福島第一原発事故で、エネルギー需給が逼迫する日本は、資源大国ロシアにとってお得意様で、天然ガスの売り込みに力を入れています。米国はシェールガス開発の成功で、ロシアのガスは不要となり、欧州も債務危機でロシアからの購入量は減っています。

 第二に、プーチン政権は極東・シベリア開発に日本の資金力、技術力の導入を望んでいます。ロシアは今年9月にアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議をウラジオストクで初めて主催し、アジア太平洋への進出を強化しています。ロシア極東は雇用が少なく、人口が流出して過疎化が進んでいます。APECに合わせてマツダの自動車組み立て工場がウラジオストクにオープンしましたが、プーチン大統領はわざわざ式典に参加し、日本企業の進出を大歓迎しました。

 第三は、中国の経済的、軍事的台頭がロシアにとって脅威となりつつあることがあります。中露蜜月といっても、既にピークを過ぎ、内部にいろいろ問題を抱えています。中国の経済力はいまやロシアの4倍で、中国の台頭はロシアにとって快くありません。ロシアは中国をけん制するため、日本へのアプローチを強めているようです。

では、日露関係が徐々に改善される中で、北方領土問題は解決のチャンスを迎えているのでしょうか。確かに、柔道五段のプーチン大統領はメドベージェフ首相と違って親日的で、今年3月、北方領土問題の「引き分け」を提唱。交渉に向け、両国外務省に「始め」の号令をかけると発言しました。大統領は日本の重要性を理解しており、日本との平和条約締結を望んでいるのは間違いないようです。

しかし、問題はその中身です。北方4島は竹島や尖閣のような小島と違って、合わせて千葉県に匹敵する大きな島です。私もビザなし渡航で何度か回りましたが、国後と択捉には温泉があり、風光明媚で驚くような自然が残っています。プーチン大統領は2000年の就任以来、歯舞、色丹の2島引き渡しを規定した1956年の日ソ共同宣言を履行する用意があるとしており、国後、択捉を除いた2島の引き渡しで平和条約を結ぼうとしています。

 2島だけなら、4島全体の面積の7%にすぎません。歯舞諸島や色丹島は、国後、択捉のようにダイナミックではありません。2島返還だけなら、領土問題は60年前に決着できていました。日本国民にとって、4島返還が悲願であることに変わりはありません。

 プーチン大統領は今年5月に再度大統領に就任し、2期12年政権を担当する可能性がありますが、今後従来の「2島」を越えて国後、択捉の帰属問題の協議に乗り出すことは難しい情勢です。ロシアでは、長期化する強権的なプーチン政権への批判も多く、民主派が反プーチン運動を展開しています。政権延命のためには、国民の反発を買う領土返還に踏み切るのはリスクが伴います。

 しかし、領土問題は国家主権が絡む重要な問題であり、わが国は今後も執拗に返還を求めていく必要があります。中露関係の変化やロシアの日本重視姿勢は領土問題にとって好ましいことです。チャンスが訪れたら、果敢に外交攻勢に出ることも重要です。そのためには、日本はまず、国民の信頼を受ける安定的な政権を樹立することが必要です。毎年首相が代わっていたら、ロシアも交渉しようという気にはなりません。

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名越 健郎(なごし けんろう)

略歴:1953年岡山県生まれ。東京外国語大学卒業後、時事通信社入社。
バンコク、モスクワ、ワシントン、モスクワ各支局、外信部長、仙台支社長 を経て、2010年退社。2011年から現職。


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