HOME学部の教育教員紹介 矢口 優 教授

インド南部の環境に配慮した農業と貧困削減に強い関心

矢口-優

矢口 優 教授

米国アイオワ州立大学大学院留学を経て、東京都立大学大学院で博士号取得。その後、(財)国際開発高等教育機構リサーチ・フェロー、アジア開発銀行研究所研究員を経て、2005年に拓殖大学へ赴任。

インタビュー

  • Q
    先生は大学時代にどのような学生生活を送られていましたか。
  • A
    当時(1980年代中頃)は、あちこちの大学で「国際○○学部」と名のついた学部が新設され始めた頃で、自分もそうした流れの中で、国際的な問題、なかでも途上国の飢餓問題をなんとか解決したいという気概を持って、出来たばかりの青山学院の国際政治経済学部に入りました。しかしそこで待っていたのは、自分の語学力のなさを痛感したことでした。語学教育に力を入れている学部で、英語だけで週7コマもあって、第2外国語のフランス語も英語での授業でした。しかも周りにいる友人の多くは英語には自信を持っていて、帰国子女でなくても聞き取りも会話力も自分とは段違いに上手で、とにかく英語力に対するひどい劣等感を持って大学生活が始まりました。ただ、劣等感をもって何もしないのではなく、少しでも英語力を向上させようといろいろと地味な勉強を続けてはいました。自宅から大学までが遠かったこともあり、行き帰りの電車の中では英語のリスニング関係のテープ教材を聞いたり、英語の予習をしたり。それが後々、少しずつ効いてくるわけです。それから今の自分につながるという意味では、大学3年の夏に、韓国のソウルに20日ほど滞在したことが思い出深いですね。自分でバイトして稼いだお金で、自分ですべてをアレンジしての旅行でした。隣国なのに言葉、人、食べ物、文化などなど、いろんな意味で韓国をあまりに知らなかったことで、いい意味でショックを受けました。そして、当時オリンピック開催を1年後に控え、登り調子の真っ只中にあった韓国の経済発展の様子をまざまざと見たことで、この国をもっと知りたい、そして韓国のような順調な経済発展を途上国が遂げるにはどうすればいいのかをもっと学ぶためには、残り2年あまりでは短い、大学院でも勉強をしたいなと思うようになりました。
  • Q
    大学院に進学したということは、当然、成績も良かったんですよね?
  • A
    それがですね、成績は決して悪くはないけど、良くもなかった(笑)。授業にはそれなりに出ていて学期末の試験に困るようなことは一度もなかったのだけど、成績は中の上くらいの普通の学生だったんですよ。ただ、そんな並みの成績の学生が大学院進学を目指すのは前例がなかったようで、一般試験で進学するのは最初ということでやや迷いもありました。その当時は文系で大学院に行く人もほとんどなく、バブル景気の絶頂期で就職活動を何もしなくても名だたる企業の方から、「うちに就職しませんか」というような誘いの電話がかかってきました。中には甘い話しもあり、そうした誘惑にのっかりボクの友人でも大学院をあきらめた人は何人もいます。でも、最終的にはそういう雰囲気に流されて自分の目標を妥協してやめてしまうのはイヤだったし、学部時代の不勉強を大学院で取り返そうという思いが強かったということです。
  • Q
    それで大学院では、しっかりと勉強したのですよね?
  • A
    大学院に入ってからは、とにかく学部時代の不十分だった勉強を取り戻すように、ものすごく勉強しました。そのうえ運が良かったのは、自分の意識が変わってきたそのタイミングで、大学の方も新しい学部ということで、次から次へと超一流の先生をあちこちの大学から引き抜いてきて、いわば学部の黄金期に学べたということは何にも代え難い経験でしたね。研究者として世界レベルの研究をされていて、学生に教えることにも意識の高い先生が多く、また多くの先生が留学を奨めてくださるような環境だったこともありました。一部の授業は英語だったし、教科書もすべて英米の大学院生が使うものと同じだったから、経済学の基礎の勉強と同時に経済学に直結する英語力も伸びながら、一流の研究とはどういうものかということも学べ、自分の学問上の基礎はすべてその時に叩き込まれましたね。
  • Q
    その後、今度はアメリカの大学院に行かれたということですが、そのいきさつは?
  • A
    今いったような感じで、恵まれた環境で高いレベルの勉強をしていると、人間はさらに欲が出るのか、より高いレベルの勉強をしたくなり、やはり経済学ではNo.1であるアメリカの大学院で学びたいという気持ちが強くなっていきました。そんな中で、留学のためにロータリー財団の奨学金に応募したら、運良く受かってしまいました。後から聞いたら、ものすごく倍率が高く、選考が厳しいことで有名な奨学金だったようですが、「知らぬが仏」という言葉もあるように、よくわからずに応募したし、学部時代の自分の成績では通らないだろうと思っていたので、変な気負いもなく選考にのぞめたことが良かったんだと思います。人生には、何をしてもうまく行くタイミングがあると思うけど、ボクの場合はおそらくこの頃なんでしょうね。
  • Q
    国際学部に赴任することになった理由、状況についてお話いただけますか?
  • A
    ボクの担当教科の前任者が、2005年に個人的な事情で退職することになりました。その方とは、じつは青山学院の大学院以来の20年あまりの付き合いなのですが、当時、職を探していたボクに連絡を取ってくださり、後継候補者の1人として選考されました。それから、これは話し始めると自分の学生時代に戻りますが、国際学部の一部の教員とはその前からご縁があると感じます。大学4年生の冬にアジア経済について学生シンポジウムがあり、ボクはそこで発表をしたのですが、コメンテイターとして、当時は筑波大学におられた渡辺利夫学長や大学院を出たばかりの杜進先生などもいらしていて、その場でいろいろと話しをさせていただきました。まさか、当時は自分がその先生方と同じような経済学の教員となるとは思ってもいなかったし、まして同じ職場で一緒の場に立つとはね。縁や運命というのは不思議なものですね。
  • Q
    矢口先生は最近インドに行かれることが多く、インドの研究者を招いての特別講義やゼミ生を連れてインドへの旅行もされているようですが、どうしてインドを研究対象にされ、またどのような研究をしているのですか?
  • A
    これはですね、拓大に赴任した頃に自分独自の研究テーマを新たに決めたくて、研究対象となるネタとパートナーを長年の知り合いに紹介されたのですね。そういう意味ではインドを選んだというのは消極的な選択でした(笑)。ただ、始めてみると、それまでの自分の関心がより強かった東アジアや東南アジア地域とは似た部分もある反面、違うこともいろいろあるなといろいろな発見があるたびにワクワクしてますね。今の研究の中心となっているのは、インドでも南部、稲作地帯で米を中心とした作物栽培と酪農で環境にも配慮した進んだ取り組みが行われていて、それが貧困削減にもつながっている状況を開発経済学や農業経済学の視点から分析していることです。基本的な流れは、作物栽培で不要となる収穫後の作物の茎や葉を酪農部門でえさや堆肥として有効活用し、一方で酪農からでる糞尿を有機肥料として作物栽培に用いることで収量増につながるということです。ここで大事なことは、なにかものすごい技術が開発されて農村に導入されたとかいうことではなく、農村でそれまで軽視されていた廃棄物を有効利用したら、不要な廃棄物は無くなるし、皆が得をするといういい循環が生まれていることです。
  • Q
    これから国際学部に入学を希望している学生、とりわけ先生の授業を受講する学生に伝えたいこと、訴えたいことは何でしょうか?
  • A
    国際学部の学生だけでなく、最近の学生と接していて気になるのが、大きな目標や夢を持っていても、何か困難にぶつかるとすぐにあきらめてしまったり、それ以前に自分には無理だと困難を克服するための努力すらしない人が多いことです。確かに若い時は誰しも大きな目標に立ち向かう果敢さをもっていると同時に、目標が大きいとその大きさに怖じ気づいてしまうナイーブさを併せもっています、自分もそうでした。たとえば、前に話した英語力ですが、大学入学当時のボクはクラスでも下の方でした。そして、クラスでペラペラにしゃべる人を見て、自分ではあんな風になるのは無理かもとあきらめかけたことは何度もありました。でも、そこであきらめて立ち止まってしまっていたら、本当にそれで終わりでした。どんなに歩みが小さくてもいいから、少しでも前に進もうと勉強は続けました。そしてどんなに小さなことでもいいから目標をクリアできれば、少しずつでも自信はついてきます。そうすれば、それがどんどんと大きな自信につながり、そして同時に実力も伴ってきます。英語圏の大学院に留学できたこと、国際機関で勤務したこと、拓大の大学院で英語で専門の授業をしていることなど、当時の自分からは考えられなかったことだと思います。何度も繰り返しになりますが、まず自分の目標なり、夢をもってください。そしてそれに向けて5年くらいは地道にまじめに努力をしてみてください。それだけがんばれば、必ず報われる何かを得ることができると保証しますよ!

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