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「竹島問題」の研究に力を注ぐ

下條-正男

下條 正男 教授

國學院大學大学院文学研究科博士後期課程修了。1983年、韓国の三星グループ会長秘書室勤務。1994年、市立仁川大学客員教授。1999年から拓殖大学国際開発研究所教授。

インタビュー

  • Q
    学生時代はどんな生活でしたか。
  • A
    学生時代は神田歩きが趣味で、週に2・3回は通っていました。目的は古書蒐集のためです。対象は漢籍と和書、それを基に卒業論文を書きました。大学3年の時、指導教授の恩師から卒業論文は教師に対する挑戦状との言葉を頂き、そのまま博士課程までご指導いただきました。
  • Q
    人生の転機は何でしたか。
  • A
    私の人生の機転は1979年、大学院の博士課程に学びながら、恩師の推薦で(財)神道大系編纂会(松下電器社会業務室内)の研究員となったことです。同財団は、松下幸之助翁の発意により、日本思想の源流を探り、古文献を編纂刊行することを目的としていました。その時、上司から松下幸之助翁が設立を検討している松下政経塾に入らないかとのお誘いをいただきましたが、お断りしました。政経塾に入ることは幕末の幕府に仕官するのも同じと考え、1981年、大学院在籍のまま脱藩を試みました。折から日韓の間には教科書問題がくすぶっており、韓国の祥明女子師範大学に職を得て渡韓することにしました。出立間際、恩師からは「虚往実帰」の揮毫を頂きました。そこには虚の歴史を史実に帰すことの意味が込められていました。翌年、大学院を単位取得満期退学すると再び渡韓し、三星グループの会長秘書室に席を置いたのです。当時、三星グループでは三星の国際化戦略の一つとして語学教育を重視していました。その中で李秉喆会長は英語の他に、日本語コースを新設し、人材育成のために日本の企業文化に学ぶことを推進された。歴史問題等で摩擦の絶えない中で、感銘を受け、招請に応じたわけです。
  • Q
    三星グループでのお仕事から大学へ戻ったのはなぜですか?
  • A
    三星グループの会長秘書室は一年で辞め、大学に移りました。当初の目的が、歴史研究であったからです。一方、三星電子のマーケッティング室で、製品開発やアフターサービスネットワーク作り等、顧問活動をしていた。ところが1996年、日韓の間に竹島問題が浮上し、韓国側の研究を検討していく内に、韓国側の文献解釈に誤りがあることに気がつきました。そこでその事実を日本と韓国の雑誌に投稿し、韓国では韓国側研究者と論争もしました。当時、勤務していた大学のトップが韓国側の竹島研究者ということもあり、1998年、大学側から再契約しない旨の通告を受けるが、その前に知人を通じて拓殖大学で新しい学部を作るので、来ないかとのお誘いを受けたのを幸いに、帰国することになりました。
  • Q
    いまの研究テーマは何ですか。
  • A
    現在、島根県のウェブ竹島問題研究所と関係し、「竹島問題」に力を注いでいます。領土問題は国家の主権に関わる問題です。だが島根県選出の国会議員をはじめ、日本の国会議員達は領土問題には無関心。二十数年前、松下政経塾を選ばず、韓国に渡ったことが自分にとっては、最良の選択だったと思っています。外から日本を見たことで、歴史を見る眼が変わり、次に何をしたらよいか、あまり迷わなくなった。今は竹島問題の他に、拓殖大学の先人達が1907年、今日の北朝鮮のような状態であった朝鮮半島に渡り、韓国の農村振興を実現した歴史を研究しています。
  • Q
    拓殖大学と朝鮮との関係は?
  • A
    拓殖大学の歴史を研究する中で、朝鮮半島や台湾の開発に果たした本学の役割の大きさには驚いています。その歴史を今に再現するため、八王子キャンパス内にログハウスを建てたり、北海道での10日ほどの農業研修を推進したりしています。拓殖大学は歴史的に見て、元祖青年海外協力隊員養成大学です。ですが1900年の建学から今日まで、余りにも長い歴史が流れ、拓殖大学本来の姿が見えにくくなっています。これは日本そのものが埋もれてしまったとも言えます。1907年、拓殖大学の卒業生が韓国で始めた地方金融組合の伝統は、1970年代、韓国の朴正熙大統領のセマウル(新しい村)運動に引き継がれ、2006年からは農業・農民・農村問題で悩む中国がセマウル運動をモデルに、新農村運動を行っています。過去の歴史を侵略という一つの面だけで見ていると、大切なものを見落としてしまいます。年号を丸暗記する歴史の勉強ではなく、人々が生きていくために何をしたらよいか、歴史の中から学び、問う経験をしてください。
  • Q
    ログハウスを建てる意味は?
  • A
    八王子キャンパスにログハウスを建てるのは、建学当初、学生達がみな寄宿舎で同じ釜の飯を食べた故事があるからです。今はそこに地域の住民も加わり、地域共同体作りの実験場にしたいと思っています。学生諸君には、是非その主役となってもらい、国際交流や新しい文化創造の場として活用してもらいたいです。北海道での農業研修は農業・環境・水・エネルギー・食糧問題について、合宿生活を通じて考えるために行います。

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