HOME学部の教育教員紹介 梶原 弘和 教授

アジアの経済開発問題を深く分析

梶原-弘和

梶原 弘和 教授

1973年拓殖大学商学部経営学科卒業。1978年同大学院博士課程修了。1983年嘉悦女子短期大学専任講師、1986年外務省専門調査員(在フィリピン日本大使館)、千葉経済大学教授を経て、2000年拓殖大学国際開発学部教授に就任。

インタビュー

  • Q
    先生は大学時代にどのような学生生活を送られていましたか。
  • A
    私は、拓殖大学商学部経営学科を卒業し、同大学大学院修士、博士課程、合計9年間拓殖大学で学びました。学部時代は特定の趣味、興味があったわけではありませんが、1年間休まず受講した科目が1つありました。3年生のときに受講した英語の外書講読です。教科書が開発途上国の経済発展問題であり、大学ではじめて興味をもった教科でした。毎週、予習、復習をし、毎回のように発表しました。
  • Q
    そのような学生生活を送っていて、なぜ研究者として大学院進学を志すようになったのですか。
  • A
    外書講読の授業がきっかけとなり、年度末になるとこうした分野をさらに勉強したい、と思うようになりました。担当の先生にもっと詳しく勉強するにはどうしたらいいか質問したところ、大学院に進学するとよいといわれ、大学院に行くことにしました。大学院の5年間は開発途上国の経済開発を幅広く勉強しました。大学院の仲間と共同で勉強会も行っていました。

    大学外で研究の機会を得る契機になったのは、国際開発センターでの勉強会です。国際開発センターで若手研究者を集めて開発途上国の研究会が開かれており、これに参加する機会をえました。国際開発センターは開発途上国の調査研究、開発に関係する内外の人材育成を行う研究機関です。当時、渡辺利夫学長も人材育成のために筑波大学と同センターで兼務されていました。同センターには渡辺学長をはじめとして多くの研究者が集まっていました。こうした研究者を通じて研究、調査等の機会を得ることができ、外部の学術雑誌にも研究発表ができるようになりました。
  • Q
    大学院在籍時になにか人生の転機となるような出来事がありましたか。
  • A
    渡辺学長をはじめとして多くの研究者から研究の仕方を学びました。何を、如何に分析し、自分の考えをわかりやすく論文に仕上げるかを何年にもわたって蓄積することができました。また1986年から2年間、在フィリピン日本大使館で専門調査員として開発途上国で生活し、書物ではなく開発」途上国の実際を経験することができました。この経験は、現在でも私の研究に大いにプラスとなっています。
  • Q
    拓殖大学国際開学部に赴任することになった経緯についてお話いただけますか。
  • A
    『日本の長期経済統計』という、一橋大学を中心として作成された研究成果があります。アジアを研究する人間として、こうした研究、つまり『アジアの長期経済統計』のようなものをつくりたいと考えていた渡辺学長を中心としたグループがあります。私もその一員です。しかし資金と人材をいかに調達するかが難問でした。拓殖大学が百周年記念事業として国際開発学部の創設、および『東アジアの長期経済統計』の作成を行うことになりました。そのため私も拓殖大学に赴任することになりました。
  • Q
    現在、関心を持たれている研究内容、テーマをお答えください。
  • A
    アジアの経済開発問題を深く分析することが研究テーマです。

    東アジアの長期経済統計の作成過程で多くの研究課題があることがわかりました。たとえば農業では、貧しい農民の生活を守るために小規模家族経営の農業を保護することが必要ですが、他方で農産物の競争力を強化するために大規模機械化農業への転換が求められています。人口が増加し、多くの失業者がいる開発途上国で農村の雇用を増加させながら農産物の競争力を強化することには大きな矛盾があります。この鍵は、都市近代部門の発展にありますが、雇用を増加させて発展した開発途上国の事例は少ないのが現実です。
  • Q
    これから国際学部に入学を希望している学生、とりわけ先生の授業を受講する学生に伝えたいこと、訴えたいことは何でしょうか。
  • A
    大学4年間で自分が興味を持てるもの、自分がやりたいと思うものをみつけることが大事です。自分がやりたいことであるならば、たとえ挫折しても納得がいくからです。また、人には必ずチャンスが与えられます。問題はそのチャンスをつかむことができるかどうかです。そのためには常に前向きに努力することが必要だと思います。国際学部でぜひ自分のやりたいこと、興味あることを見つけ出してください。

TOOLS